昭和42年6月19日 夜の御理解


 金光大神の御教えの中に、無情の風は時を嫌わぬと云うが、金光大神の道は無情の風が時を嫌うぞと仰る。又は死ぬる用意より生きる用意をせよと、又は日に日に生きるが信心なりとも教えておられます。日に日に生きるというのが信心だと、無情の風は時を嫌わんと云うか、金光大神の道は無情の風が時を嫌うぞと、例えば無情の風に時を嫌わすような生き方、例えばこれがもう寿命だと、もうこれが運命だと、例えばもう定められたもののように、こう申します。そこから新たな運命が展開してくる。いうならばもう無情の風が来たら、誰でもいわゆるお迎えを受けなければならないと、こう云いますですね、これはまあ仏教的な考え方なんです。
 けれども金光大神の道は、無情の風が時を嫌うぞと、こう教えられるのでございますから、そういうその生き方なんですね、そういうようなこの生き方をさしてもらうという、そこにね、日に日に生きるが信心、生きて行くというそのことが信心だというような生き方、あり方、そこには教祖の神様の、例えば教えておられる事を守らせて頂くという事と同時に、教祖の神様のいわゆる、ものの見方とか考え方、いわゆるあられ方というようなものを、神習わして頂かねばならんと思う。
教祖の神様はこのような場合、どういう風にお考えになっただろうか、教祖の神様はこのような時に、どうなさったであろうかと、教祖の神様ならばこういう時に、どういう風に処置されるであろうか、というそこんところを(      )そこんところを探究していく生き方、そういうことを私は日に日に生きるが信心だということになってくるのじゃないかと思う。そこから私は無情の風は時を嫌わぬというような中にあっても、無情の風に時を嫌わす程のおかげが展開してくるのだとこう思うです。
 今日は合楽会で皆さん今から話をなさいますが、そういう金光教の信心のいうなら得々なところ、そういうところを話し合ったり、又聞いて頂いたり、皆さんの一ヵ月の信心の体験をおうかがいしたりしたいと思います、どうぞ共励殿の方に皆さんおいでになりますように、どなたか一人代表でお届けをして下さい。
 皆さんあちらの方へおいで下さいますように。